うつ病患者の家族コミュニティ〈エンカレッジ〉立ち上げの原体験

2016.12.03公開 2020.05.06更新

今回はインタビューはうつ病の経験を生かして、メンタルヘルスに関する事業を手がける林晋吾さん。

 

うつ病・パニック障害を発症した時のお話や、病気になって感じたこと、そして家族向けコミュニティの立ち上げに至った背景などについてお話しいただきました。

 

>>林さんが運営する「ご家族がうつ病になった人たち」が支え合うコミュニティ『encourage』

 

〈インタビュアー 久保佳奈子〉

 

うつ病で悩んでいる家族を支える

現在、ご家族がうつ病になった人のサポートする活動をしています。

 

「ご家族がうつになった人」というと分かりづらいですけど、当事者ではなくてサポートしている方のご家族をサポートすることが今のメイン活動です。

 

ご家族がうつになったときに、

 

「実際どうやって声をかけていいのか」

「どうやって接したらいいのか」

 

という声は多くあります。

 

困ったことやつらい気持ちを身近な人に相談できなかったり、先が見えず不安な気持ちや孤独を一人で抱えていらっしゃいます。

 

そういった声を踏まえて、サポートしている家族同士が同じ立場で、

 

「こうやったらうまくいった」

「こういうことがちょっと分からないよね」

 

ということを共有し合ってもらえる場を提供しています。

 

パニック障害とうつ病を併発し休職

社会人になって約12年になりますが、最初の約7年は金融関係の仕事で、その後の約3年がコンサルの仕事でした。

 

パニック障害を発症したのは、金融関係の会社にいた時です。

 

パニック障害を発症した原因を挙げるとすれば、職場での人間関係と仕事のストレスですね。

 

当時、今までやったことのない質の仕事が来て、右も左も分からない中、モヤモヤしながら、ずっと休みなく仕事をしていたことがきっかけだったと思っています。

 

ただ、その前から同じような仕事をしていたので、今思うと、たまたま発症したのが、そのタイミングだったのかなとも感じています。

 

病院に駆け込む前の1週間ぐらい、ずっと、ぼーっとして集中力が続かず、寝る前にはドキドキドキドキして寝られなくなっていました。

 

朝、新聞を読んでも、字面は追っかけられても内容が全く頭に入らなくて、食事の量もどんどん減っていました。

 

そんな中、電車に乗っていたら、すごく汗が出て呼吸が苦しくなってしまい、電車を降りて動けなくなってしまったんです。

 

「これは明らかにおかしい」と思って、クリニックに行くことになりました。

 

その後は、急に目まいがしたり、呼吸が浅くなって苦しくなったり、動悸が止まらなかったりする発作が続きました。

 

ただ、パニック障害で病院に行ってから約2年は、何だかんだ言いながらも仕事は続けていたんですね。

 

でも、あることがきっかけでミスをしたんです。

 

その時に気持ちがもう落ちちゃって…。布団から出られなくなりました。

 

何とか仕事に行ってパソコンを開いても、文字を打てなかったです。

 

メール1本返すのに、結構な時間がかかり、1時間ぐらいの打ち合わせも、最初の2、3分の光景は覚えてるけど、そこから後はもう覚えてなくて。

 

その後、親しい先輩が僕の上司にヘルプを出してくれて休職することになりました。

 

先輩は僕の学生時代からずっと先輩なのですが、今もとても感謝しています。

 

休職に入ってから、2週間ぐらいはずっと「毎日20時間以上寝てた生活」でした。

 

寝てたというか、もうろうとしてる感じです。

 

起きているか起きていないか分からないような状態が2~3週間続いていたと思います。

 

転職したコンサル会社では病気のことを伝えて入社したものの、やっぱりどこかで無理をしてしまい、つまずいた瞬間に気分が落ちてしまっていました。

 

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病院の異常な緊張感

実際に精神科のクリニックに行ってみて感じたのは「異常な緊張感」。

 

先生は乱暴な人だとは全然思わないんですけれど、僕自身、あまりうまく先生と付き合えていませんでした。

 

病院も途中で行かなくなったり、飲み残しの薬が家に溜まっていたり。

 

思考能力が落ちている中で、なかなか自分の症状をうまく先生に伝えられないんです。

 

ぼーっとしている中で、うまく伝えられないし、そもそも受診するまでの1週間なんて覚えてないんですよ。

 

言葉にして話す能力が落ちている中で、表現したことのない今の状態をどう表現すれば先生に伝わるか、ちょうどいいものを持ち合わせていませんでした。

 

先生に「こうでしょう」って言われてしまうと「そうです」とは言うんですけど、実際は違うんですよ。

 

先生の言っていることは全然的確でないのに「そうです」と答えるしかない状況。

 

だから「何か違うな」と思いつつ、出された薬を飲んでいたみたいな感じですよね。

 

あと正直な話をすると、それなりの量の薬を飲んでいたらお金の問題も出てきていました。

 

病気になってから変わったことと言えば、何かをやるときに、人の顔色だったり、人の評価を一番に考えなくなったこと。

 

でも、変わるための何か特別なことをしたということはなく、「これがきっかけになった」ということがあまりないんです。

 

例えば、人の顔色を伺う癖って判断の軸が「人にどう評価されているか」に偏っているからですよね。

 

それで実際、人にあまり評価されなかったりすると、「そんなふうに見られたくない」とばかり考えてしまっていました。

 

直さなきゃいけない癖だと分かっているけれど、直せるかといったら簡単には直せないんですよね。

 

ちょっと意識してみても、またすぐ同じことを繰り返して、落ち込んでということを繰り返していました。

 

だからといって、意識することを止めるのは違うとも思っていたので、出来る限り、普段の生活を続けるようにしました。

 

なので、何か特別なことをしたというよりも、また同じことが起きたときに、

 

「どこに自分のゆがみが出てきたのかな」

 

と意識するようになってから、症状の波の大きさが少しずつ小さくなっていったように思います。

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近藤雄太郎

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  • 本コンテンツは、特定の治療法や投稿者の見解を推奨したり、完全性、正確性、有効性、合目的性等について保証するものではなく、その内容から発生するあらゆる問題についても責任を負うものではありません。
  • 本記事は2016年12月3日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。