
うつ病患者の家族コミュニティ〈エンカレッジ〉立ち上げの原体験
目次
病気も生きてきた事実のひとつ
今ではこうして自分の病気を公表して活動しています。
公表するに至った背景の1つ目は、自分がメンタルヘルスを事業のテーマとして選んでいること。
もう1つは、自分の病気を隠して仕事をすることは、今までの自分を全部否定することになるという思いがあったからです。
これまで自分の性格の問題とか考え方の問題でうまくいかなかったこともあります。
病気を公表するときの抵抗感もやっぱりありました。
でも、公表することをネガティブに考えてしまうと、いろんなことを否定してしまうことになると思います。
病気も生きてきた中で起きた事実の一つと素直に思えるようになった時、公表することは、自分にとって素直に受け入れられました。
公表して人が離れていったりした経験もあります。
でも、それはそれで見られ方の1つだから別にいいのかなと思っています。
もちろん、期待には応えようと思うし、求められたものをやりたいとは思っています。
でも、それをいちいち気にするのではなく、「結果の受け止め方は相手が決めること」と、ある意味割り切って、人の評価ばかりに視点を置かなくなったと感じています。
自分の気持ちや思いが最初に来るようになって、肩の力を上手く抜けるようになりましたね。
病気を受け入れやすくなった
最初にパニック症を発症したときから、少しずつ症状の波が小さくなっていくにつれて状況を受け入れやすくなっていきました。
もちろん、最初は「何でこんなことになるんだろう」「もう駄目だな」とすぐに気分が落ちていました。
実際、気分が落ち込む度に、「もう人生終わった」ぐらいのことを思っていました。
ただ、3回目くらいの波になると、
「あの時、ここで調子に乗ってしまったな」
「ここでまた悪い癖が出たな」
と、自分の症状と向き合える思考がちょっとずつ出来るようになってきていました。
それから気分が落ちる期間がすごく短くなり、症状が落ち着いてくることを感じたので、普段から自分の状態を受け入れようとする意識を持つようになりました。
特に、カウンセリングなどを受けたわけではないのですが、お坊さんが書いているような本やアドラーの本を読んでみて、自分にしっくり来たことを生活の中に取り入れてみることで、意識を改善していった感じですね。
それこそ、自分がうつ病で動けなくなって、特に朝起きられない時期は部屋の中がもう、ぐちゃぐちゃなんですよね。
それで、「何か動いてみよう」と思って最初にやったことは、部屋の掃除をきちっと1回やることでした。
「窓を開けて、空気だけ入れ替えてみよう」
「まず洗濯だけきちっとやろう」
「今日は食器洗いだけを全部やろう」
そういった、当たり前のことを当たり前にやることが動き出すきっかけとして大事なのかなと思っています。
正直、掃除が終わって「よし、ちゃんとできた」とか思っても、「だから何やねん」って話なんです。笑
「俺、そんなの喜んでていいんかな」
みたいなことは思ったりはしますが、その時の自分からすると、家事が出来ることは大きな1歩。
できることから始めてみるという意味で良かったと思います。
「やばい」と言うのは難しい
出来ることなら、誰だってうつ病なんかなりたくないですよね。
そうならないために、僕自身の経験から言えることは、「やばい」とできるだけ早く言うことだと思ってます。
ただ、その一方で落ち込んでしまっている自分の状態を受け入れられず、周りからどう見られるかを気にしてしまい、「やばい」と言えないことはあります。
多くの場合、「やばい」と言えた時って、「やばいかもしれない」じゃなくて、「もうやばい状態」にあるんだと思うんです。
やばいかもしれない時に「やばい」と言うのは難しいですよね。
よく、「早期発見」とかって言うんですけど、本人からアラートが出せるかというと、なかなか難しい。
僕の場合も、会社の先輩が上司に言ってくれてなかったら、自分では「やばい」と言えないまま、仕事を続けていたと思うんですよね。
ただそれも、仲のいい職場の仲間が「最近、ちょっと様子おかしくない?」と意識して言えばいいと思うんですけど、これもなかなか難しいですよね。
気分が落ち込んでいる時は、人間関係もシャットダウンしがちですし、落ち込んでいる様子だけ見て、まさか病気だとはなかなか思わないですよね。
なので、「やばい」「つらい」と言った時に、周りの人がちゃんと受け入れられるかどうかが大事なのかなと思っています。
精神疾患を抱えている人ができる心がけで確実に言えるのは、「焦らない」ってことですよね。
でも、絶対焦ってしまうと思うんですよ。
「このまま自分は終わってしまうんじゃないか」とか。そう思うことってしょうがないと思います。
でも、今振り返ってみると、「焦り過ぎたな」って思っているところがあるんです。
例えば、動けないときに、何とか動こうとして外出しても、家に戻ると、またばたんと倒れちゃったり。
体が動けないんだったら、動かない状態が正解。
「体が休息をしたがっているんだな」と一旦、焦らないことが大切だろうなと思っています。
「ちゃんと気にかけてるよ」
もし家族でうつ病になった人がいる場合、
「ちゃんと気にかけてるよ」
と伝えてもらうことが一番嬉しいかもしれないですね。
ただ、気にかけてほしいと言いながらも、ちょっと放っておいてほしい時もあったりします。
異常にイライラしたりとか、感情のコントロールが全然できない時もあります。
それでも、
「誰かに話を聞いてくれる存在がいる」
「いつも気にかけてくれている存在がいる」
ということが、すごく支えになると思っています。
サポートする上で、本人のタイミングを待つしかない側面は少なからずあります。
家族が色々と調べて、「こういうことがいいみたいよ」と思って言っても本人が動かないことってたくさんあると思います。
自分もそうなんですけど、無理やり動いてもいいことって何もなくて、あとからまた落ち込むだけなんです。
僕自身、一番つらかったことは何となく人がどんどんいなくなっていく感覚でした。
精神疾患に偏見があって、離れていく人も確かにいると思います。
でも大半の人たちは、精神疾患のことが分からなくて、「どうしていいか分からへん」というのが本音だと思うんですよね。
分からなくて当然だと思うんです。だからこそ、うつ病などの症状を「こういうもんなんだ」くらいに受け止める感じで良いように思います。
「何かあったら、力になれることがあるかもしれない」
「話ぐらいだったら聞けるかもしれない」
と伝えてもらえるだけでも、支えになるのかなと思います。
うつ病と向き合うご家族の悩み
ご家族の悩みは、うつ病などの当事者と、どれくらいの期間付き合っているかによっても違ってきます。
例えば、急性期の人のそばにいるご家族の場合、そもそも右も左も分からなくて、当事者で起こっていることが理解できないことが多くあります。
「何で、朝起きないんだろう?」
「何でご飯食べないんだろうか?」
「何でそんなこと急に言うんだろう?」
「あれ、何か急にしゃべり出して止まらへん」
だとか、どうしていいか分からずにネットや本を見ても、書いてあることって割と一般的なことで、自分のケースに当てはまらないことも少なくないんです。
うつ病と一言で言っても、みんな個別の症状があります。
それを本やネットだけで自分のケースに合うものを探そうとすると、やっぱり難しい。
あとは家族側のストレスの問題もあります。知らず知らずのうちにサポートする側にも負担がかかっています。
特に、急性期と呼ばれる一番状態が安定しない時期が、一番負担がかかるみたいです。
それなのに、サポートする家族の気持ちのやり場って、どこにもないというのが現状。
「ツレがうつになりまして」はすごくいい映画なんですけど、「ツレがうつになりまして」とつぶやける先って実はあまりないですよね。
実際に、家族がうつ病であることを打ち明けて友達が離れていき、コミュニティから家族が孤立化していくなんて話もありました。
「どうやって接していいんだろうか?」
「そもそもうつ病って何?」
という知識に関することはもちろん、ご家族自身にかかっている心の負担を軽くしていく機会の必要性をとても感じています。
先輩家族が知っているからこそ
実際のセミナーでのご家族同士のやり取りを聞いていると色々な発見があります。
例えば、家族のうつ病と向き合って、2、3年経っている方は状況が落ち着いてきていて、色んな問題に対してうまく乗り越えてこられてる人が多い。
そういった方は、「この人だったら話しても大丈夫だ」という人を確保していたり、ちゃんと相談の窓口を持っているんですよね。
一方で、ご家族自身が分からないことについて、
「誰に聞いたらいいか分からない」
「そもそも相談したことがない」
という人が多くて、結局自分で何とかしようしている人が多いことにも改めて気づかされました。
うつ病急性期の人を支えている人にとっては、回復期に入った人を支えている家族の話が有益になり得ます。
これは、家族という同じ立場だからこそ「よく分かる」ということが多いように思います。
例えば、「病院を変えたい」と思ったときに、先生に「別の病院に行きたいので紹介状を書いてください」って言いづらいじゃないですか。
でも、それって先生に言う必要はなくて受付で言えばいいんです。受付で事情を説明して変えたいと言えば、ちゃんと紹介状を書いてもらえるんですよね。
こういうご家族ならではの「あるある」って結構あると思っています。
そういった「あるある」に対して、一番近しい体験をしていて、一番難しさを分かっていて、答えを持っているのは同じご家族という立場なのかもしれません。
また、ワークショップに参加されたご家族から、ソーシャルサポートと呼ばれる相談機関や制度などへの不満は結構ありました。
みんな軒並み使っていなかったりするのですが、その背景にはそもそもソーシャルサポートの存在を知らないという問題があります。
また、ソーシャルサポートを利用しようと思ったけれど、途中で分からなくなったり、面倒になって止めちゃったり。
電話はかけたけれど、「予約が1カ月後ですよ」とか言われたり、そもそも全然電話がつながらないところもあったり。
実際に利用してみたけれども、思うような結果が得られなかったという話もよく聞きます。
だからこそ、ご家族同士が集まって、ソーシャルサポートを利用したことある人の話をまず聞いてみるということは、結構役に立つのではないかと思っています。
一番嬉しかったのは、セミナーに参加していただいた方から、「気持ちが救われた」とか「この話はぜひ自分でもやってみたい」といった反応をたくさんもらえたことです。
参加していただいた方が、セミナーに参加する前と比べて「支えること」について前向きに捉えられたり、落ち着いて話ができる人を見つけられたとしたら、すごく嬉しいことだと感じています。
皆でできることを増やしていく
今、悩んでいたり、精神疾患に向き合っている人たちに言えることとして、一つは「焦らない」ということ。
もう一つは「日常を大事にする」ということ。
そして、自分の状態がすごく悪くても近くにいてくれる人や、小さなことでも自分のできることを大事にしてほしいと思います。
そうやって日常としっかり向き合っていくことが、意外と先につながっていくような気がしています。
僕の場合、シャワーとか浴びるのもしんどくなるくらい動けなくなったことがありました。
それでも、「歯磨きぐらいはやってみようかな」と目の前にあることをおろそかにしないというか、
「つらいからこそ、丁寧にできることをまずやってみる」
ということは大事なんじゃないかなと思います。
周りにいる人を大事にするという意味で、僕が一番変わったのは特に母親への接し方や見方です。
母親への接し方や見方って、イケイケの頃はあまり大事にしてなかったですし、今も乱暴っちゃ乱暴なんですけど。笑
ただ、自分がどうしようもない状況であったとしても、母親はやっぱり母親で母親の存在が自分はすごく支えになっている部分はありました。
そういう、普段当たり前にあることを大事にすることは、今振り返ってもよかったなと思いますね。
現在の活動を続けていく中で、「ツレがうつになりまして」と言うことが特別ではないことになればいいなと思います。
周囲にいる身近な人たちのサポートの力って、やっぱりすごく大きいんです。
だからこそ、支える家族の人たちが孤立せず、色んな情報や知識を共有し合ったり、相談できる環境をつくることで、うつ病を皆で乗り越えていけるようになればいいなと思っています。
>>林さんが運営する「ご家族がうつ病になった人たち」が支え合うコミュニティ『encourage』
- 本コンテンツは、特定の治療法や投稿者の見解を推奨したり、完全性、正確性、有効性、合目的性等について保証するものではなく、その内容から発生するあらゆる問題についても責任を負うものではありません。
- 本記事は2016年12月3日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。