母の存在と、世界が少し明るく感じられたきっかけ【Aさん第7回】
今回は、精神的に辛かった「あの頃」、母がしてくれたことについて詳しくお話しします。
辛かった時期。母と過ごした時間
前回のような状況の中、母は私の状況を見ながら、外出を勧めてくれました。
最初は、心療内科にも母が付き添ってくれて、それも大好きな時間になりました。
次第に、通院の前後に喫茶店で休憩したり、公園に立ち寄るといった自由時間は一人で過ごせるようになりました。
季節は、ちょうど春の頃です。
勧められるがまま、近所に散歩に出かけ、携帯で道端の花の写真を撮って母に見せました。すると、母はとても喜んでくれました。
それから、気付けば、身の回りにある自然がとても愛おしくなりました。
草花が芽吹く、花が咲く…それだけで尊いこと、そしてそれを母に伝えると、母が喜んでくれることを実感しました。
何気ないことに目が向き始める
その途端に、世界が少し明るく感じられました。
それから出かけるときには、何気なく見つけた「いいこと」を携帯で写真を撮って帰るのが好きになりました。
それは次第に、「出来ること」をもう一度増やすという貴重な体験になりました。
はじめてのおつかいに出かけるように、買い物ひとつできたことや母を喜ばせられることが、とても嬉しかったのです。
「今日は、コンビニエンスストアでお菓子を買って帰ろう」
「今日は姪の桃の節句だからお祝いのメッセージを送ろう」
といった具合に、「今日これをやろう」と毎日を過ごすことが、久しぶりにポジティブに捉えられるようになりました。
自分を見つめ直して気付いたこと
自分の「出来ること・好きなこと」について、純粋に見つめ直すのは新鮮な体験でした。
そして、それは「人を喜ばす」「母を喜ばす」ということに帰結するように思われました。
だとしたら、「自分を含め、人を喜ばそう」ということを心がけようと思いました。
散歩も歌うのも、元は「自分がそれを好きだから」。
そして、「それを続けると、誰かが喜んでくれるから」。
私は、歌うことが大好きです。
それは「歌うと『いい声だね』と母が喜んでくれたから」です。
散歩も大好きです。
それは「花や自然のことを話すと、母が喜んでくれたから」です。
読書も大好きです。
それは「母が図書館司書で、幼いころから沢山読み聞かせをしてくれたから」です。
ポジティブに自分を捉える
第一回目のコラムで私は、『周りの人々と自然を愛し、「大好き」と胸を張って生きたい』と述べました。
そして、第二回目で『人に喜ばれる・頼られるのが好き』とも述べました。それはこれまでのコラムで述べたような経験から、自分を見つめなおした結果でした。
いくら自己分析をしても出来なかった、『ポジティブに自分を捉えること』が、最近ようやく少しずつできるようになった気がします。
ペンネーム:Aさん
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- 本記事は2017年9月8日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。