うつで休職、退職。復帰への不安を自信に変えた拍手と雑談とカレー作り

2019.02.17公開 2020.05.11更新

うつで休職や退職を余儀なくされてしまうと、復帰への不安や働かないことへの罪悪感などに苛まれてしまいます。

 

今回のインタビューは、うつでの休職・退職経験などを経て、自身の経験をブログやTwitterで発信をされている、”たこすけ”こと宇都喬之さん(@taccotacosuke)。

 

うつのきっかけや休職中の過ごし方、退職後に自信を取り戻すことにつながったご経験などについてお話いただきました。

 

わんぱく少年が引っ込み思案に

小さい頃は、どちらかと言うとわんぱく少年で、小学生くらいまでは友達も結構多くて活発だった記憶があります。

 

ただ、親が転勤族だったこともあり、小学校を4校、中学校を2校ほど通い、中2の頃に鳥取から東京の中学校へ引っ越しました。

 

そこであまり馴染めずに、控えめな人たちのグループで少人数で遊んだり、小学生の頃の活発さが隠れていくようになりました。

 

中学で1番楽しかったのは塾でしたね。

 

塾の先生がすごくフレンドリーで、とても自然に受け入れてくれたんです。褒めながら伸ばす先生で、最終的に高校3年までお世話になりました。

 

それでも中学生活での引っ込み思案な癖が身についてしまい、高校3年間もそれを引きずっていました。

 

クラスメイトを名前で呼べなかったんです…。「ねえねえ」「ちょっと」とかそんな感じで。

 

ずっと悶々としていましたね。高校3年間。

 

自分を出せずに過ごしていたので、高校の同級生が進まないような大学に進学しようと、距離の離れた大学に入学しました。

 

大学ではスタートダッシュをかけようと、入学後は背伸びをして遊んでばかりいる大学生という感じでした。

 

在学中、国際協力のサークルを立ち上げて、”Table for two”という活動を大学にも導入するためにゼロから活動を始めたりしました。

 

自分一人で始めた活動でしたが、声をあげれば協力してくれる人が集まってくれて、それがすごく新鮮で嬉しかったですね。

 

そして、将来的にも国際協力に携わっていきたいと思いつつ、就職活動。

 

でもすぐに、自分にげんなりしてしまいました。

 

就活中、他の学生たちの話を聞いていると、すごい実績ばかりで「自分はまだまだだな」と感じてしまったんです。

 

周りの学生と比較して自信がなくなり、どんどん負のスパイラルにはまってしまっていたかもしれません。

 

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そういったこともあり、あまり積極的ではなかったのですが大学院への進学を選びました。

 

大学院生活はあっと言う間でした。研究室に泊まり込むほど忙しく、すぐにまた就活が始まって…。「もう就活か」という感じでしたね。

 

就活の際、すぐに国際協力の仕事は難しいと思い、そのステップとしてシステムエンジニアの道を選択をしました。

 

3社から内定をもらったのですが、正直なところ、IT業界への就職が国際協力に結びつくか自信があったわけではありませんでした。

 

むしろ、「文系大学院は就職不利」という情報で不安になり、文系院卒の採用実績が多いIT業界を選んだという側面もあります。

 

「IT業界の会社で、国際協力をやっていう会社もあるし」

 

と、半ば強引に自分自身を納得させていました。

 

会社に行けなくなった3つの前兆

IT企業に入社後、3ヶ月ほどの研修を経て、発表された配属先は運用・保守。

 

システムの安定稼働やトラブル対応がメインの希望とは異なる部署で正直、モチベーションは下がっていたと思います。笑

 

それでも任された役割はきちんと果たそうという「社会人たるもの」みたいな意識はありました。

 

ただ、教育担当の上司とは相性が合わなかったですね。

 

僕が質問しても、こちらを見ずに「何?」って淡々と詰められる…みたいな。

 

怒鳴ったり、声を荒げることはなかったんですけど、そういった関係が休職するまでの9ヶ月ほど続きました。

 

会社に行けなくなった当時は突然という感覚でしたが、今振り返ると、3つほど前兆はあったと思っています。

 

まず1つは「食欲が無くなる」ということ。特に朝食。

 

その当時は、仕事終わりにコンビニに寄って、次の日の朝ごはんを買っていました。

 

コンビニに寄る時は、食欲に問題を感じることはないのですが、朝起きたら全然食欲が無くて。

 

「こんなに食べられるわけないでしょ」と、自分で自分に突っ込むことが3ヶ月くらい続いていました。

 

2つ目は「中途覚醒」です。

 

毎晩のように、夜中の2,3時くらいに1回目が覚めることが数ヶ月単位で続いていました。

 

中途覚醒とは言っても、僕の場合は夜中に目が覚めた後も、もう1回眠れていたので睡眠時間自体は確保できていたんです。

 

仕事もやれるにはやれていたので、それが中途覚醒という自覚は当時なかったですね。

 

3つ目がよく言う「サザエさん症候群」

 

僕の場合、日曜日の夜になると憂うつになるのではなく、土曜日の夜から月曜日のことを考えて何も手につかなくなっていました。

 

友人との予定があっても全く楽しめずにいましたね。

 

職場から逃げ出したい衝動

休職するまでの9ヶ月間、職場の先輩たちとはほとんど雑談もなく、淡々と仕事をして叱られるような日々で、ちゃんと褒められた記憶もありません。

 

でも、「これが普通なんだ」みたいな感覚でしたね。「叱られながら成長していくものだ」と。

 

できないのは当たり前だから、怒られるのも仕方ないというか。

 

そのときは誰かに相談するというより、自分の中でなんとか処理していこうという感じでした。

 

そうするうちに、あの3月29日に。ついに体に異変が起きた日です。

 

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当時の僕としては、本当に突然でした。

 

金縛りに近いような感覚で、動きたいと思っても「なんだこれは」という感じで本当に動かないです。

 

そんな状況でよぎった考えは、「とにかく会社に行かなきゃ」。

 

「なんだこれは」と思いつつ、「会社に遅れる」「会社に行かなきゃ」と。

 

その日は、なんとかベッドから這いずり出て出社しました。

 

「何かが自分に起きているんだ」という漠然とした恐怖感を持ったまま職場に向かいました。

 

でも、職場の人は誰も知らないので、当然いつも通り始まるわけで、なんとかついていかないといけない。

 

その日に何をしたか覚えていないんですが、とにかく最後まで働きましたね。

 

しかし、その2日後。出社するまでは良かったのですが、今度は職場で体に異変が起きました。

 

「職場にいるのが、どうにもこうにも耐えられない」

「逃げ出したくて仕方ない」

 

そういった衝動に駆られるようにトイレに駆け込みました。自分でも何が起きているかわからなかったですね。

 

ただ、トイレに駆け込んだ時点で「もうこれはさすがにヤバい」と自覚を持てました。

 

その日は早退して、その足で心療内科に行きました。

 

藁にもすがる思いでしたね。

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2019年2月17日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。