虐待、不登校、自傷行為、閉鎖病棟への入院…「いらない子」だった頃の私へ

2017.10.29公開 2020.05.16更新

自傷行為と閉鎖病棟への入院

大学を中退してからも体調はしんどかったです。

 

お医者さんに、薬は多めに飲まないように言われたのでずっと守っていましたが、その代わり自傷行為が激しくなって、閉鎖病棟に入院することになりました。

 

閉鎖病棟に入ったら、逆に親が離れていきましたね。

 

精神科の閉鎖病棟というので、「この娘は本当におかしいんだ」と。

 

逆に、親類は「こんな状態なのにどうして」ともっと過干渉になってきちゃって、あれはいいことなかったですね。

 

親類の方はどうしてもかかわりを持ちたかったんだと思います。一人になると寂しかったんでしょうね。

 

子どもも配偶者もいるわけでもないから、私が目についてしまったんだと思います。

 

閉鎖病棟では本も読めませんでした。

 

何もできずに、食事とお風呂、あとベッドに寝ているだけで。

 

その当時、付き合っていた彼氏は来てくれてはいましたが、それも限られた時間だけでした。

 

少しずつよくなって普通病棟に行ったときは、少し病院内を歩いてみたりもしましたが、それ以外はずっと部屋にこもっているような状態です。

 

診断名は境界性パーソナリティ障害でした。

 

親から愛情を受けられていなかったことで愛着障害の一種もありました。

 

今思うと、全くもってそのとおりだなと思います。

 

親の愛をすごく求めていて、その代わりじゃないですけど、その当時は彼氏がとっかえひっかえの状態でした。男性に求めてしまっていたんでしょうね。

 

生活も昼夜逆転して、キャバクラやスナックに勤めていた時期もありました。

 

何かすがりたいというか、信頼できる人とか安心できる場所というものをずっと探していました。

 

自分の居場所が何もなかった時に、今の娘の父親と出会ったんです。

 

大学を留年したときに出会ったのですが、その人は発達障害を持っていて、お互いに生きにくさを抱えていた部分で共感し合い、ひかれ合っていたんだと思います。

 

でも、そういう人がいたとしても安心することができず、当時の私は浮気を繰り返していました。

 

当時の私を含め、生きづらさを抱えている人は、ぬくもりや愛情がとても足りない状況にあるのかな、と思います。

 

妹もそうですし、高校で出会った女の子たちもやっぱり生きにくさを感じていました。彼氏がいたとしても次の週には変わっている友達もいたくらいです。

 

今思うと、親からの愛情に飢えていたんだろうな、と。

 

DSC_7304

 

大学を中退してからは仕事を転々として、さらにある人にだまされたというか、半ば洗脳されて東京の風俗に勤めることになったんです。

 

学習支援のNPOの人でしたが、大学の同級生に紹介されて活動に参加するようになり、プライベートでも付き合いが始まりました。

 

しかし、付き合うようになってから「あれしろこれしろ」「お前はこうしなきゃ駄目だ」「駄目人間だ」と言われ、スマートフォンも取り上げられてしまったんです。

 

「俺のために稼げ」とも言われました。お金はなかったのですが、「その人が絶対だ」とすり込まれていたので、「分かりました」と風俗で働くことになったんです。

 

風俗に行って、「何で私、ここにいるんだろう」と思った瞬間に逃げようと思って、東京を中心に活動しているNPO団体ボンドプロジェクトさんに連絡して保護してもらいました。

 

それがそれまでの生活から抜け出すきっかけでしたね。

 

ボンドプロジェクトとの出会い

前々から、ボンドプロジェクト代表の橘ジュンさんという方は知っていました。

 

風俗で働き始めてからはずっと転泊をしていてのですが、1回だけホテルに泊まることがあったんですね。

 

ホテルに泊まったときにホテルのラウンジにあったパソコンで調べて、メールを打って、そのままタクシーに乗って荒川まで行きました。

 

西日暮里でボンドプロジェクトのスタッフさんと合流できてシェルターのほうに入れてもらったんです。

 

シェルターの場所は言えないんですが、家みたいな感じで落ち着く環境でした。

 

そのときはシェルターにいるのは私だけでしたが、保護されて、橘さんが山形県警にも連絡をしてくれて、ようやく家に帰れました。

 

その家も引き払うことになり、山形から祖母のいる茨城に戻ることになりました。

 

祖母の家にまた住めることになって落ち着いた生活の中、仲良くやっていたのですが、そこで私の妊娠が発覚してしまったんです。

 

私の妊娠が分かってから、祖母が毎日、何か物思いにふけったような顔になってしまいました。

 

「私が妊娠したからいけないんだ」と思って、毎晩ずっと泣いていました。健診にも行けなかったです。

 

今思えば、祖母も不安だったんだと思います。

 

普通、妊娠したら結婚とかそういう話が出るのに何もないし、相手の母親からはおなかの子のことを「いらない子」「望まれてない子」って言われましたから。

 

 

「どうしても中絶してほしい」

中絶するという話にもなったんですが、やっぱり私は中絶はできなくて。

 

そしたら、相手の母親が私の全く知らない第三者を連れてきて、「どうしても中絶してほしい」と頭を下げてきたんです。

 

そのことがきっかけになり、「あんな男いらない。自分で育てる」と私の気持ちははっきりと決まりました。

 

その後、病院の助産師さんが市役所の保健師さんにつなげてくれて、保健師さんが定期的に来てくれるようになりました。

 

病院に行けば助産師さんが話を聞いてくれて、保健師さんも定期的に来てくれて精神的にも安定を取り戻しました。

 

DSC_7327

 

カウンセリングも受けて、だんだんと復活して、安心した状態で出産に臨めました。やっぱり出産は少し不安にはなりましたけど。

 

頭下げられてまで中絶してほしいと言われても出産しようと決められたのは、やっぱり「命」だからだと思います。

 

「何で子どもを犠牲にしなくちゃならないんだ」という気持ちでした。

 

子どもが好きで、高校のときも保育園にボランティアで絵本の読み聞かせに行ったり、実習に行ったりしていました。

 

もし育てられなくても特別養子縁組という法律もあるし、私は産むんだと決めました。

 

出産は帝王切開でしたが、出産後3カ月目ぐらいからスーパーで働き始めて、生活保護からも抜けました。

 

子どもを祖母に預けてレジ打ちをひたすら頑張っていた時に、今のパートナーと出会いました。

 

本当に運がよかったと思います。約1年前の話です。

 

私の活動も理解してくれて、支えてくれているし、金銭面でも支えてくれています。

 

彼と子どもがいるから今の自分がいて、どれか1つでも欠けたら私は今に至っていないと思います。

 

DSC_7389

 

相談できる場所に繋がるのは難しい

ボンドプロジェクトの橘さんにも言われたことですが、「相談上手」だと言われるんです。的確な相談場所を知ってる、と。

 

法律だったら法テラスに、妊娠出産のことだと保健師や助産師に、とか。でも、そういったところと繋がれる人って少ないんですよね。

 

『思いがけず妊娠してしまったら』というパンフレットがあるんですが、そのパンフレットが置いてあるのが産科の前なんです。でも、めったに行かないじゃないですか、産科なんて。

 

何かに困ったとき、本当に相談できる場所に繋がるのは難しいんだろうな、と感じました。

 

でも私みたいに、変なNPOに引っ掛かって風俗で働いて、最悪死んでしまうこともあります。

 

困ってる人が適切な相談場所を知らないというのは大きな社会の課題だと思っています。

 

これからの活動では、子どもの心に寄り添うということを大切にしたいと思っています。

 

心に寄り添わないと分からないことってあると思うんです。ただ、寄り添いすぎても離れすぎてもダメなので、程よい距離感で。

 

人に寄り添うには、それだけ自分が人間としてしっかりしていて、強くなっていなければならないですよね。

 

優しさは人間としての強さで、その強さが人間としての魅力や包容力につながっているのかな、と思います。

 

偽りの包容力で寄り添っていても子どもはすぐ見抜くので、やっぱり真摯に向き合っていくってことが重要です。

 

程よい距離感で寄り添うには、子どもを信じることが大切だと思います。

 

あれができない、これもできないと頭から決めつけていると、子どもは嫌がります。

 

信用して見守ってあげることで、「見てくれてるんだな」って分かってくるんです。

 

保育士さんや幼稚園教諭さんを見ていてもそうですが、子どもに携わるということは子どもを信用することだと思っています。可能性を秘めてる子たちですから。

 

可能性を摘むのも芽生えさせるのも大人。それを忘れてしまうと、子どもの尊厳を汚してしまうことになると思うんです。

 

子どもも1人の人間だし人格だからこそ、それを踏みにじることは紛れもなく虐待なんです。

 

 

無理に生きにくい所にいる必要はない

子どもたちに伝えたいのは、「逃げてもいいんだよ」ということです。

 

無理に生きにくい所にいる必要はないし、逃げることだっていいことなんだよということを伝えたいですね。

 

生きづらい時はその場から逃げて、生きやすいほうに行ってもいい、という選択肢を見つけてほしいです。

 

家庭以外になかなか居場所を見つけられない子どももいると思います。

 

そんな子たちのために、図書館においでという取り組みもあります。

 

NPOでもいいから頼れる大人のところに行こう、自分で命を落とすまでつらいならそこから逃げよう、という呼びかけをしています。

 

必ずしも無理やり、親と一緒にいる必要はないし、親と自分は別の存在なんだから、親に支配されることはないと思うんです。

 

理不尽な暴力を受けて、裸足で家を出されて、街をさまよっていた頃の自分にもやっぱり、「抵抗しよう、逃げよう」と声をかけたいです。

 

「もっといい選択があるよ」って。

 

DSC_7373

 

 

シングルマザーだからといって諦めない

思いがけず妊娠をしたシングルマザーの人は、まず「妊娠かな」と思ったら、迷わず助産師さん、保健師さん、看護師さんに話してほしいです。

 

自分を自分で発信することが必要になってくると思うのでためらわないでほしい。必要であれば法テラスも活用することができます。

 

シングルマザーだからといって諦めずに、「これならできる」という1つの可能性に向かって走っていってもらいたいです。

 

人間の生き方に型なんてないので、シングルマザーだから、未婚だから、シングルファザーだからって諦める必要はないし、人間だから人間らしく生きてほしいと思います。

 

とはいえ、私もしんどい時や落ち込んだりすることもありました。

 

私の場合は市役所の保健師さんが来てくれたことと、カウンセリングを受けていたということで立ち直ることができました。

 

精神科や心療内科ってどうしても敷居が高く感じられてしまうんですが、心も体の一部です。

 

メンタルヘルスをケアするのも人として必要なことなので、ためらわず行く、ためらわず話すということが楽になる一番の近道なんだと思います。

 

もし、Remeなどに相談しようか迷ってもやもやしている人がいたら、モヤモヤは後回しにしていいから、今の一番しんどいことを話したほうがいいと思います。

 

モヤモヤは後になって解決することもありますし、話すことによってモヤモヤが出ていくこともあるので、まずは話すことですね。

 

話すのがしんどかったら文字に書いてもいいです。

 

言葉にできないんだったら絵にしてもいいし、何だっていいんだと思うんです。自分を表現できる方法で吐き出してほしいです。

 

私が大事にしているのは「真っすぐ生きる」ということです。

 

真っすぐ生きると、後ろのことが見えなくなるんですけれど、私はそういう生き方しかできないと分かっているので。

 

真っすぐに生きて、どんな問題に対しても適切な相談場所で対処することを覚えていくというのは、生きていくうえで必要なことだと思います。

 

そして、ちゃんと信用できる人や場所を持っていてほしいです。

 

諦めず、真っすぐ前を向いて生きていれば、いつかは報われると信じています。

 

DSC_7325

シェア
ツイート
ブックマーク

近藤雄太郎

Reme運営

インタビューのご希望の方はこちら

  • 本コンテンツは、特定の治療法や投稿者の見解を推奨したり、完全性、正確性、有効性、合目的性等について保証するものではなく、その内容から発生するあらゆる問題についても責任を負うものではありません。
  • 本記事は2017年10月29日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。