死にたい心理は異常?注意したい3つの「死にたい」を臨床心理士が解説

2016.05.19公開 2017.06.12更新
 
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現代社会では「死にたい」と思うことはネガティブに捉えられがちです。

 

たとえば、身近な人の死は、大きな悲しみと絶望を遺された人々に与えます。

 

「“死にたい”なんてとんでもない!」と感じる人も多いでしょう。

 

ただ、最近は生きることへの執着のようなものが湧きにくい人が増えているようです。

 

「最悪の時には死ねばいいかなあ…」「死ぬのも人生の一部だし」と達観している人も増えてきました。その中には、もう一歩踏み込んで「死にたい」と思う人もいるようです。

 

そこで今回は、死にたいと思う心理やそう感じた時の対処法について、臨床心理士の立場から解説します。

 

 

「死にたい」と思うことは異常?

「死にたい」と思うことは果たして異常なことなのでしょうか?

 

診断基準では「死にたい」は症状の一つに挙げられています。「希死念慮(きしねんりょ)」と呼ばれています。

 

しかし、臨床心理学の立場から見ると、「死にたい」は必ずしも不健康なものばかりではありません。

 

健全な心でも、繰り返し「死にたい」と思うことはあるものなのです。

 

 

誰もが持つ「死」という定め

私たちは生まれ、そして死ぬ定めにあります。

 

臨床心理学では、私たちはこの「定め」をある程度知って、生まれてくるのではないかと、古くから考察されていました。

 

たとえば、良いことか悪いことかわかりませんが、不治の病に犯されて苦しむ人が、「苦しみに満ちた生」よりも「苦しみから解放される死」を望むことがあります。

 

「死ねば楽になれる」ということを私たちは本能的に知っているのですね。

 

いつ、何をきっかけに、「死ねば楽になれる」に気づくのかは人それぞれです。早い人は本当に早いようで、「(自覚できるかぎり)幼稚園の頃から」という人もいます。

 

強迫性障害の中にも「自分がふと自殺してしまうのではないか」と怯える「自殺恐怖」と呼ばれる症状もあります。

 

これは本人の意識は嫌がっているのに、無意識が「死ねば全ての責任や苦痛から解放されるよ。楽になるよ。」という誘惑が心の中で起こっているのかもしれません。

 

昔からさまざまな形で自死が戒めていたのは、「死」がもたらす甘美に人々が向かわないようにという知恵だったのかもしれませんね。

 

 

注意したい3つの「死にたい」

ただ、次のような「死にたい」はちょっと心配です。

 

一つは「自分の役割(または期待されている自分)を全うするしかない」という責任感と閉塞感から無理を重ねている場合です。

 

この場合は、疲れ果てて「早く全うし終えたい、解放されたい」という意味の「死にたい」になります。

 

「自分の役割」を一人で抱えすぎているのかもしれませんね。そんな時こそ、「抱えきれない…」と周りの人に相談してみてください。

 

もう一つは、自分の人生を呪うあまり「自分という人生を消したい」という意味での「死にたい」です。

 

あなたの人生は本来的に祝福されるべきものですが、時に、利害の対立や不運に見舞われて絶望的に見えるかもしれません。

 

そんな時は一度、冷静になれる時間を作って、本当は身近にある希望を見つけることに意識を向けてみてください。

 

最後に「死」をもって誰かに何かを訴えよう…というものです。

 

伝わらないことが死ぬよりも辛いと感じてしまうこともあるのかもしれません。

 

でも、「死」だけが何を訴える手段ではないはずですよね。「違うもっと良い方法もある」ということもどうか忘れずにしてもらいです。

 

いずれのケースのような「死にたい」を感じたら、心理に詳しい医師や臨床心理士を頼ってください。きっと、あなたの力になってくれます。

 

 

さいごに

誰だって死んでしまったら二度と会えなくなるので、誰にも死んでほしくはありません。

 

ですが、特に目立った不幸や苦悩もない幸せな暮らしの中でも、ふと「死にたい」と思うことは理解できます。

 

それでも、いつか出会うべき人に出会うためにも、次の瞬間には「生き続けよう」とか「生き続けてやるか」と考えるようにしてみてくださいね。

 

 

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【執筆者】

杉山崇 臨床心理士

神奈川大学人間科学部 教授

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