うつ病のどん底から復活。「普通の働き方」から逃げた先で見つけた自分
大企業に入社するも、1年目にうつを発症し、休職、入院を経て退職。
社会のレールから外れ、人生のどん底を経験しながらも、今では地元の和歌山でシェアハウスなどの運営をする峯上良平さんへのインタビューをお届けします。
うつで引きこもりがちだった頃、梅農家でもある実家の手伝いを通じて、少しずつ体調を回復させて自信を取り戻してきた峯上さん。
今回のインタビューでは、
・新卒で入社後1年足らずでうつを発症し退職に至った背景
・ご自身のメンタルの回復のプロセスや当時の葛藤
・現在のシェアハウス・農作業などの居場所づくりの取り組み
などについてお話しいただきました。
〈インタビュアー 近藤雄太郎〉
目次
入社後、1年足らずでうつを発症するまで
と同時に、早く一人前になりたいと理想像を高く持ってしまい、「こうあるべき」と無理に頑張りすぎてましたね。
あとは、失敗したくない気持ちも強くて、慎重になり過ぎて仕事が遅れたり、それがまた自尊心を下げたりと負のループに陥ってしまっていました。
発達傾向もあり、スケジュール管理や単純作業が苦手だったり…
忙しい部署でもあったので、なかなか相談も遠慮しがちでしたね。
通っていた高専で専攻を選択する際、一番就職率が高いという理由で、半ば逃げるように電気情報工学科を選んだ背景もあったので…。
「寝たくなかった。次の日が来るのが嫌だった」というのが正直なところでした。
「また失敗したらどうしよう」「明日、あの作業できるかな」と。
自分が自分じゃない感覚とでも言うのでしょうか。
ショックと不安が入り混じっていました。
うつ病と診断。休職、入院を経て退職
うつと診断されて、どこかで安心した記憶があります。
食事も1日1食程度しか摂れていませんでした。
仕事を休むことへの罪悪感もかなりありました。
今振り返れば、躁状態だったのですが、その時は回復して元気が出てきたと。
さらに、休職中の孤独感や、休職というレールを外れた感覚、「ちゃんと治るのかな」という不安を打ち消したいけど誰にも相談できないつらさもありました。
自分は病んでしまった人間なので、もう昇進は見込めないと考えていましたし、症状も良くなる気配がなかったため、死にたいと思う日々を過ごしていました。
それで気がつけば、毎日のように飲みに行っては朝方帰る自暴自棄な生活になってしまっていました。
産業医とは2週間1度、15分程度の面談がありましたが、自分の本音を言えてなかったですね。
「ちゃんとできてます」と伝えていましたが、もちろん表面上だけでした。
同期にその時の状態を打ち明けていれば…職場復帰で困らなかったのかなとは思います。
あとは、復帰に向けて「焦り」があった結果失敗してしまったので、職場復帰前にトレーニングが出来る仕組みがあれば良かったのかもしれません。
ある時、副社長の講演後に、新人の私が副社長に直接質問をしに行くという、常識外れな行動を取ってしまったんです。
それまでも細かな問題があったんだと思いますが、それをみた上司が産業医に報告、呼び出しを受け、入院することになりました。
言い方は悪いのですが、人生のドン底を味わい、「ここにいてはいけない」と強く感じました。
正直、すごく怖い所に来てしまったなと。
私にとって忘れられない経験でした。
- 本コンテンツは、特定の治療法や投稿者の見解を推奨したり、完全性、正確性、有効性、合目的性等について保証するものではなく、その内容から発生するあらゆる問題についても責任を負うものではありません。
- 本記事は2020年7月5日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。