看護師1年目で適応障害に。「無理に治そうとしなくていい」と思えた理由
今回は、うつ病当事者でライターとしても活動している小松亜矢子さんにお話を伺ってきました。
小松さんが、看護師1年目で適応障害を発症するに至った背景や公表したことへの想いなどについて話していただきました。
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〈インタビュアー 久保佳奈子〉
目次
看護師1年目で発症した適応障害
これまで看護師としての仕事をメインにしていましたが、今はウェブメディア等で、メンタルヘルス関連を中心にしたライターのお仕事をしています。
そもそも、医療の世界に興味を持つようになったには、学生の頃にテレビで医療系のドキュメンタリーを見て、「医療の世界って面白そうだな」「大きい病院で、バリバリ働いてみたい」と思ったことがきっかけです。
「看護師の仕事は良いよ」という親の刷り込みも多少ありました。笑
自衛隊の看護学校に通っていたので、新卒で仕事を始めた病院は自衛隊の看護学校でした。
最初の配属は、そこの病院の外科病棟でしたが、1年ぐらいで辞めちゃったんです。
実は、新卒1年目で適応障害を発症したんですよね。
それで結局、辞めてしまって、その後は派遣してみたり、就職したけど辞めてみたり…を繰り返していました。
最初に発症したのは、新卒の時の適応障害でした。
私、もともと人に話すのが苦手だったり、責任感が強かったり、完璧にやらないと気が済まないところがありました。
あとは、親に言われたのがきっかけで看護師になったこともあり、「親の期待に応えなきゃ」という思いも多分あったんですよね。
看護学校にいた3年間は、看護師になるという短期的な目標があったので頑張れました。
ところが、いざ看護師の資格を取って就職してしまったら、その後の目標が見えなくなっちゃって。
バーンアウト状態だったんでしょうね。
また、配属された病棟も先輩方が結構厳しいところで、うまく働けなくなってしまっていました。
今はもう通院していないですが「治ったか」と言われると、よく分からないですね。
病気とそうじゃない境目ってよく分かんないですよね。
薬も今はもう飲んでないですが、うつっぽいなと思う時もまだあります。
心配してくれる人がいた
最初に人に言ったのは、適応障害と診断されてから、看護学校時代の同期2、3人に電話した時です。「実はこういうことになって」みたいな。
電話した友達は、すごく元気で明るい性格だったので、きっと元気を分けてほしかったんでしょうね。
それから当時、最盛期だったmixiで「実は……」みたいなことを書いて、みんなに言ったのが最初だと思います。
それで色々話していたら、思いのほか、私のことを気にかけてもらったという感じがありました。「私のこと、心配してくれる人いたんだ」っていう感覚です。とても嬉しかったですね。
ずっと挫折みたいなものを感じずに生きてきたのに、突然、適応障害になって、一回折れてしまった感覚がとても辛かったです。
ただ、それでも「まあ、いっか」というか、そこまで頑張らなくてもいいのかなとは思うようになりました。
あとは、人間関係に対して、肩肘を張らなくはなったという気はします。
適応障害になって、看護師の仕事から離れた時期もあったので、医療関係以外の知り合いも増えて、世界が広がったことは良かったと思います。
今のライターの仕事もそうですが、いろんな選択があるんだなというのを知れました。
うつ病になってからの働き方としては、まずちゃんと続けて働けるように、ルーティーンで働ける職場を選んでましたね。
あとは、職場が家から遠くなく、できるだけ規則正しく生活ができることも重視しました。
やっぱり、看護師時代のような夜勤があると、それだけでもしんどかったりします。
仕事の内容とかやりがいとかではなくて、自分に合った条件で、働きやすいであろう条件で探しました。
精神科でみた現場のリアル
新卒1年目で適応障害になり、看護師の仕事を辞めてから、色々な仕事を経験した後、精神科の看護師として医療の現場に戻ることにしました。
精神科の医療はすごく歴史が浅くて、昔は患者さんが虐げられていたというか、「ちょっと頭のおかしい人」みたいな感じで虐げられていた過去があったりするんですよね。
これは、職場の人に聞いた話なんですけど、夜勤スタッフの仮眠用布団を患者さんが敷くなんてこともあったみたいです。
さすがにそういうことは今は無いと思います。
それでも、看護師が「ワーッ」と患者さんに上から目線でモノを言ったり、平気で患者さんが傷つくようなことを言う看護師は結構います。
過去からの空気はまだ残っているんですよね。
私はそれが嫌で、「そっち側」にいたくないっていう理由で辞めました。
私の職場の場合、相手にしているのが統合失調症の患者さんでした。
統合失調症の場合、長い人は10年単位で病院います。実際、私の受け持ちの患者さんも、20年近く病院にいる方でした。
患者自身の状態が良くなるということがあまりなく、何をもって「良かった」とするか、やりがいをどこに置くかは難しいように思います。
ただ、いつも出来なかったことがちょっとだけでも出来たり、「いつもよりも表情がいいな」って時は、良かったなと感じていましたね。
あとは、できるだけ患者さんの目線に近い位置に立てるように心掛けていて、話が終わった後に「ありがとうございました」と言われた時は、ちょっと嬉しかったですね。
「自分だけじゃない」と思ってもらたい
ライターとして、自分のことを書き始めたのは自分の症状が少し良くなってからですね。
うつ病が現在進行中の人って、そもそも自分で書くことが難しいじゃないですか。
だから、当事者の体験ってウェブ上でも、そんなに出て来なかったんです。
なので、「私が書いたらちょっとは何か役に立つんじゃないかな」と思って公表することにしました。
実際、友達に初めて打ち明けた時は、「どう思われるかな」っていうのは気にしていました。
ですが、「言っても大丈夫なんだな」って思えたら、公表することに対してあんまり抵抗はなかったです。
いざ公表してみると、「実は私も」みたいな人が結構出てきました。
その人たちが自分の症状を打ち明けて、「自分だけじゃないんだ」と思ってもらえるようになったところを見て、公表して良かったのかなと思いましたね。
なので、うつ病などで一人で悩んでいる人に対して、少しでも役に立てられるように、ライターのお仕事などを通じて、発信していきたいと思っています。
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- 本記事は2016年11月26日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。