双極性障害で仕事が続かなかった自分が人を頼れるようになって得たチカラ

2017.04.19公開 2020.05.19更新

軽躁状態を逆に喜んでいた

その一方で、やっぱり気分の浮き沈みはありました。

 

今思えば軽躁期で、すごい量の仕事を徹夜もいとわず、土日も普通に出社してやったこともありました。

 

一方で、うつ期になったときは、会社はかろうじて行くんですけど、家に帰ったらすぐ寝て、土日もほぼ人と会わない生活。

 

結局、最初の会社は2年で辞めることになりました。

 

「起業したい」という思いから、軽躁のタイミングで、自営でネットの仕事をしている人に会ったことをキッカケに有給も消化せず勢いで会社を辞めてしまったんです。

 

その当時は、自分の元気な「軽躁期」を基準に生きていましたね。

 

軽躁の状態を疾病だと思わず、自分のベストな状態だと。

 

だから、軽躁期が来たら「やっと仕事がたくさんできる」と逆に喜んでいたぐらいでした。

 

会社を辞めてからは、それこそ最初は軽躁だし、やりたいことやれているし、刺激がいっぱいあって寝ずに仕事をやっていました。

 

軽躁状態は3、4ヶ月ぐらい続いたと思います。その間に、起業するためのビジネスの種を探さなきゃと色んな人に会ったりもしました。

 

前職を辞めてから、約半年間走り続けていましたが、とある出来事によって一気に気分が落ち込み、仕事が手につかなくなってしまったんです。

 

自分はうつ病だと思っていたので、「もう、続けられない」と実家へ帰ることにしました。

 

軽躁期の勢いで仕事をやっても持続しないことを身をもって経験しましたね。

 

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その後、愛知の実家に戻って3ヶ月ほど休養することにしました。

 

なんとか体調が落ち着いてから、愛知のウェブ系企業への転職先が決まりました。

 

働き始めたのは良かったんですが、ウェブ制作の仕事は働き方が不規則で、夜遅くて当たり前な状況でした。

 

会社の環境や働き方になかなか慣れずに仕事の整理ができなくなって、1年も経たないうちにまた調子崩して休職することになりました。

 

休職後、1、2ヶ月ほどで職場に戻れたのですが、会社からは「職場に戻ってきた=これまで通りやれるだろう」と思われていたんですね。

 

復帰前のようになかなか働くことができず、あるコンペの提案書が作れずに「休みます」とだけ伝え、それ以来、会社には行けずに誰とも会わずに退職しました。

 

障害者就職支援の会社と出会う

その後、転職活動をしているときに、今の会社に入る前の会社に出会いました。

 

創業4年目ぐらいのベンチャーでしたが、代表の人と共通の友人がいたんです。

 

その共通の友人から、「ウェブ関連業務を出来る人を探している」ということで声をかけてもらいました。

 

その会社は障害者の就職支援をしていて、その当時は障害者の遠隔地雇用など革新的なモデルを取り組んでいました。

 

「障害を持つ人が働けるようになることが事業として成り立つんだ」ということに衝撃を受けて、愛知から東京に出てきました。

 

入社後は障害を持つ人に情報を発信したり、企業を巻き込んでいくための施策を行う社内で唯一のウェブ担当者でした。

 

だから、ウェブに関しては「何でも知っている人」といった感じで、相談する人が社内にいないどころか、逆に周囲から頼られる存在になっていました。

 

一方で、「また、うつ来るだろうな」「でも働かないと生きていけないし」と、一人で仕事を抱え始めるようになってしまって。

 

入社半年ほど経った時にうつ期になりました。

 

ただ、うつ症状の話を人事面談で打ち明けた時、「それ、うつじゃなくて双極なんじゃない?」と言われたんです。

 

「双極って何だろう?」という感じだったので、とりあえずネットで調べてみたら、まさに自分のことが書いてありました。笑

 

元気だと思っていた状態(軽躁)が、実は疾病からなっていることを知って、「あ、そういうことだったのか」と、すっと腑に落ちました。

 

ちゃんと診察を受け直したら「双極性障害」という診断がおりましたが、働き方はそのままでした。

 

なんとか1年は働きましたが、気分が上がってきたら仕事をやり過ぎちゃうし、うつ期になればその逆もある状態。

 

そして、再度休職を2カ月間休職した後、「辞めます」と言って退職することにしました。

 

それが前職のエピソードとなりますが、実は今、勤めているリヴァ代表の伊藤は、前職の役員でもあって、僕の直属の上司でもあったんです。

 

伊藤は、私が2011年2月に休職する前には、リヴァを創業すると決めて辞めていました。

 

当時、伊藤は、

・うつ病の人への対応に企業が困っている

・実際、伊藤の身近な人がうつ病になり対応に困った

・社会復帰に向けてトレーニングできるところがほぼ無い

といったところにすごく問題意識を持っていました。

 

リヴァを創業する中で、私が双極性障害で前職を辞めたというのも知っていたので、気にかけてくれていました。

 

働き方を見つめ直す時間

2011年の夏、傷病手当金をもらいながら「これからどうしようかな」と思っていたところ、「リヴァのプログラムを使ってみない?」と伊藤に誘ってもらいました。

 

まだ、働く先も決まってなかったし、知り合いでもあるし、わらにもすがる思いで利用者としてリヴァのプログラムに参加することになりました。

 

当時は、立ち上げたばかりだったので利用者よりスタッフのほうが人数が多い状態。

 

それでもグループワークやコミュニケーショントレーニングなどを通じて、自分の働き方を見つめ直す時間が持てました。

 

特に影響を受けたのは、「農地」でのプログラム。

 

ニンジンの周りの雑草を抜いたりして、農作業を手伝うシンプルなもので、終わったらたまに野菜をもらうこともできました。

 

なにより、農地のプログラムの日は眠りが良いんですよね。

 

普段、体を動かしてなかったり、頭ばかり使ってるので、体を動かして、自然に眠くなって寝るというのが人間的だなと。

 

自分が種を植えた物が食べ物になって、それを食べておなかが満たされる…

 

そんなことを考えた時に、人の根源を体験できたというか、「人ってこういうものなんだよな」「生きるってこういうことなんだな」と感じたんですね。

 

自然の中での作業なので、天候に左右されて当たり前だし、ウェブの仕事みたいにきれいに終わらないことも当たり前。

 

それでも、「自分がまかなえるだけ、野菜が取ればいいよ」という感覚で、自分のペースを保ちながら働く農家の人をみて「こういう生き方もあるんだな」と。

 

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自分の疾病を受け入れられるように

「マネジャーゲーム」というグループワークにもとても影響を受けました。

 

マネジャーゲームは、マネジャー1人、グループリーダー2人、スタッフ2人の5人で行うプログラムです。

 

マネジャーはグループリーダーとやり取りができる一方、スタッフとはやり取りできないというルールの中で、あるミッションが課されるんです。

 

そしてミッションを達成するために、マネジャー・グループリーダー・スタッフに内容が異なる指示書が渡されるんです。

 

マネジャーの指示書には、ミッションの詳細や目的まで丁寧に書いてある。

 

グループリーダーの指示書には、ミッションを書かれておらず、やるべき作業だけ。スタッフの指示書には「頑張ってください」とだけ書いてある。

 

その中で、何が起こったかというと、自分の指示書に書いてある内容をみんなも知っているものだと思って、一方的に指示ばっかり与えるマネージャーが出てくるんです。

 

実際、僕はそんな感じになりました。笑

 

さらに、「マネジャーだから、自分で全部やらないといけない」って感じで、一人でミッションを抱えちゃったんです。

 

結果、ミッションを達成もできないし、スタッフは不満。

 

「何やってるのか分かんない」

「もっと頼ってくれればいいのに」

 

といった感じになってしまって。

 

このプログラムを通じて、自分で抱えてしまうこと、人に仕事を振れない悪い癖を振り返りながら、疾病も受け入れていけるようになりました。

 

実際にリヴァのプログラムを利用して、これまでの「短距離走的な生き方」から「長距離走的な生き方」になった点があります。

 

双極性障害のことをそもそも知らずに生きていたときは、「自分はいつか働けなくなる」という前提があったんです。

 

軽躁期やうつ期といった、体調や気分の波が絶対にあるというのは分かっていたので、走れるときに突っ走るという発想でした。

 

つぶれる前にガッと仕事をやれるだけやって、つぶれそうになったら人に任せる、みたいな働き方を続けてしまっていたんですね。

 

でも、リヴァでのトレーニングを経て思ったのは、いきなり全力でスタートダッシュする必要はないということ。

 

マラソンのようにゴールを見据えて、

 

「自分の今の体調どうだ?」

「これぐらいなら、行けそうだ」

 

と、自分の体調と相談しながら、コンスタントに走っていくイメージですね。

 

実際、短距離走でできるものって、ビジネス上では大したことないですよね。

 

だから、長期的にコンスタントにやることが、結果、大きい成果につながるんじゃないかと思えるようになりました。

 

前までの僕だと、双極の気分の波で、1社を2年以上勤務することは無かったのが、今は休職することなく、リヴァに勤めてもう5年になります。

 

やっぱり、1年目より2年目のほうができることは増えますし、それだけ周りからも信頼されるようになりますよね。

 

短期間でパッとやるよりも、浮き沈みの波をできるだけなくして長期的なゴールに向かっていく生き方のほうが自分は楽だし、生きやすいなと。

 

あと、「楽しい」という定義が変わったと思います。

 

その当時は、瞬間的な刺激のあるものを楽しいと感じて、それが幸せだと思っていたんです。

 

でも今は、和やかな日々が続いていく…みたいことが自分の中でしっくり来る楽しさや幸せ

 

定年後のおじいちゃんみたいかもしれませんが。笑

 

 

人に頼るということ

僕自身、一番変わったのは、「人に頼る」ということです。

 

今までは、「一人で結果を出さないと評価されない」と思っていましたが、人と協力したほうが、一人でやるよりも効率よく結果が出て、自分も楽になりますよね。

 

それまで「人に頼る」ことを敬遠していたのは、

 

「こういうことを人にお願いしたら、何て思われるんだろう…」

 

「分からないって言ったら否定されるんじゃないか…」

 

といった「恥ずかしさ」にありました。

 

特に、今までは双極性障害のことを隠して生きてきたので、自分の弱みを見せることに抵抗があったんです。

 

だからといって、この記事を見ている人全員に「弱みを開示しろ」とは言わないです。

 

ただ、疾病あるなしに関わらず、うまく仕事をしている人って、人に相談したり甘えるのがうまいように思います。

 

今までは、「こうあるべき」みたいな考えが強かったんです。

 

だけど、それはあくまで一つの視点でしかないですよね。

 

「〜すべき」と思っていること「それって本当なの?」って自分で問いかけてみることで、バランスの良い視点に切り替えることができるようになりました。

 

仕事に対する視野が狭くなって、「この選択肢しかない」と思ってしまったときに、

 

「それって本当?」

 

と、自分を客観視したり、難しい場合は、人に話したり相談したりすることを心がけています。

 

実際、人を頼ったり、巻き込んだりすることが上手くできるようになってから、働きやすくなりましたね。

 

結婚、育児、異動、新規事業…

 

いろんなイベントが図らずも重なってしまい、それが引き金になって、しんどくなって仕事を休んだこともありました。

 

冷静に考えれば、それだけのイベントが重なれば、誰だって思考停止になるよなっていうのは、今思えば分かるんです。

 

ただ、その当時は渦中にいるので、「自分は駄目だ」とばかり自分のことを責めてしまっていました。

 

この時、「辞めるかもしれない」とも思ったのですが、会社の人に相談してみたら、

 

「〜というところは出来ているよね」

「こうやって相談出来ているよね」

「〜という判断も出来ているよね」

 

ということを言われて、「あ、確かに出来ているな」と。

 

そうやって、自分の出来ているところに着目してくれたり、客観的に言ってもらえると、落ち着いてくるようになったんです。

 

その結果、休みがちの体調も3ヶ月半ぐらいで安定させることができるようになりました。

 

 

良い体調をキープするために

私の場合、睡眠に自分の体調が出やすいんですよ。

 

「何時間寝たか」という指標を一番大事にしていて、自分の中でベストな睡眠時間のラインを決めています。

 

それである時、睡眠時間が3時間だったとします。

 

悪い癖で、その事実をつい隠しちゃう自分もいるんです。ばれたくなくて、ごまかしたり…。

 

だけど、長期的に見ると、睡眠3時間の過活動時期のつじつまを合わせるように調子を崩したりするわけです。

 

なので、睡眠が3時間の日があったら、翌日は長めに寝るとか、できるだけ睡眠時間を確保してきたことが、リヴァで勤め続けられた理由の一つだと思います。

 

あとは、自分の症状を伝えている身近な人に、もし言動が攻撃的(気分が上がり過ぎた時の症状)になっていたら、フィードバックしてもらうようにしています。

 

フィードバックされても、イラっとしない関係性の人に言ってもらうのも大事かもしれないですね。

 

身近な人からのフィードバックを通じて、活動を制限したり、1日休みの日を作るなどしています。

 

将来的には、「働く場所を制限されない」という働き方を実現したいと思っています。

 

枠に囚われずに、いろんな場所で働けることが理想ですね。

 

それと同時に、「人とつながる」「人のために何かする」、身近な人を大事にしたいという思いも持ち続けていれたらなと思います。

 

自分を知るためにも人を信じる

自分の疾病のことについて、信頼できる人に、もし話してないんだとしたら、「話すだけでも変わる」というのが一つ。

 

「人と関わることで、世界は変わっていく」ということを伝えたいですね。相談するだけでも生きやすくなりますし、視野が広がっていきます。

 

もうひとつは、「自分を大切にする」ということ。

 

辛かった時の自分の生き方を思い出すと、自分にあまり視点が行ってなかったように思います。

 

「人にどうしたい」とか「人がどう考える」という視点ばっかりで、自分を苦しめていたので。

 

「これを言ったら、批判されるだろうな」と心配していたことでも、いざ言ってみると「言ってくれてありがとう」といった反応が来ることはしばしばあります。

 

その時に、「どれだけ自分は周りの人を信頼してなかったんだろう」と思うと同時に、「これだけみんなが、自分のことを信頼してくれている」とすごく心が動かされました。

 

自分が感じているモヤモヤも、相手に伝えれば楽になりますし、自分のサインにも気付いて必要であれば早めに休みを取るようにしてほしいです。

 

なにより、自分を知るためにも、人を信じて人と交わることを大切にしてもらえればと思っています。

 

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【松浦秀俊さん執筆コラム】

【Part  1】双極性障害では仕事が続かない?正社員7年目のホントのトコロ

【Part  2】双極性障害の私が実践する仕事上の工夫と注意サインとは?

【Part  3】双極性障害での仕事探し!大切にしたい5つのこととは?

【Part  4】躁(軽躁)でもうつでもない平常時の自分なりの定義と働き方

【Part  5】仕事上、双極性障害で辛い2つのことと私なりの対処方法

【Part  6】双極性障害で職場復帰までの工夫、嬉しかった職場での接し方とは?

【Part  7】妻からみた双極性障害の夫。出会い・結婚・子育て・家族としての工夫や悩み

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近藤雄太郎

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  • 本記事は2017年4月19日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。