LGBTのカミングアウト~シゲせんせーが伝えたいこと〜【鈴木茂義さん】

2018.06.11公開 2019.05.23更新

シゲせんせーのカミングアウト

私の場合、自分自身がゲイであることを初めてカミングアウトしたのは、20歳のときでした。

 

詳しくは以下のインタビューもご覧ください。

 

それをきっかけに、親しい人にはタイミングを見て、言える人から自分がゲイであることを伝えていきました。

 

人生の一大転機になったのは、今から3年前の2015年です。

 

カミングアウトフォトプロジェクト「OUT IN JAPAN」で社会的なカミングアウトをしました。

 

私にとってカミングアウトとは、一体どのような意味をもつものだったのでしょうか。このコラムを書きながら、改めて考えています。

 

 

一歩踏み出す「覚悟」の意味

OUT IN JAPANを通して社会的なカミングアウトをすることで、これからの自分の生き方に「覚悟」のようなものを決めたのだと思います。

カミングアウトをしない自分に対する不満を抱えながら生きていくのか。

それとも、

周囲の人の反応に傷つくかもしれないことを覚悟して、自分の人生を自分で選択し、自分で決定していくのか。

とても悩みました。そして、結果的に私は後者を選びました。

 

いまできる生き方を自分で選択し、決定したことに、少しだけ自信をもつことができたと思っています。

 

 

身近な人との「関係性の再構築」の意味

本当の自分を語れないことに、罪悪感をもっていました。

 

いま考えると、そのような罪悪感をもつ必要はなかったのですが、そのときの私はもっていました。

 

本当の自分を語ることによって、

「相手ともっと仲良くなりたい」

「居心地のよい関係になりたい」

と願っていました。

 

関係性の再構築は、私だけの問題ではありません。

 

相手があるからこその関係性であり、私がカミングアウトをしたところで、相手との関係性がどうなるかはわかりませんでした。

 

関係性がよくなる可能性もあるし、悪くなる可能性もありました。

 

ですが、自分が何か行動を起こすことで、相手との関係性を見直すことができることはわかっていました。

 

「いま」「ここで」できることがあるなら、それをやってみようという気持ちでした。

 

 

これからの「働き方」の意味

小学校の先生としてカミングアウトをすることは、怖かったです。

 

仕事をしながらたくさんの人とかかわるので、それまでの直接会って話してカミングアウトをするということとは状況が違いました。

 

小学校の先生となって14年が過ぎ、自分はこれから何を目指して働いていこうか。どのように働いていこうかを考えていました。

 

ゲイであることをカミングアウトしないで働いていくという選択肢も、当然私の中に残っていました。

 

ただし、それを考えたときに、心がザワザワしました。

 

カミングアウトをしないで働くという選択肢に、違和感を感じました。

 

その違和感を抱えたまま教員を続けるということが、そのときの私にはできなかったのです。

 

自分がどう生きていきたいかということと、自分がどう働いていきたいかということが重なりました。

 

その2つを切り離さないでいこうと覚悟を決めました。

 

 

カミングアウトが怖くてできない人へ

私がゲイであることをカミングアウトしてオープンにしているせいか、人から

 

「シゲせんせーはカミングアウト推進派なのですよね」

 

と言われることがあります。

 

確かに、以前はカミングアウトをした方がいいと考えていましたが、今はそう考えていません。

 

カミングアウトが怖くてできないということは、何か人と比べて劣っていることではありません。

 

カミングアウトをするかしないかで、人の価値も決まりません。

 

それは当然のことです。

 

見方を変えれば、カミングアウトをしないという覚悟にも意味があります。

 

それは、人から不用意に傷つけられることなく自分の心と体を大切にするという意味があるかもしれません。

 

周りの人を動揺させないという人に対する気遣いかもしれません。

 

カミングアウトのタイミングを見定めている、慎重さがあると言えるかもしれません。

 

そのことは、とても大切なことだと思います。

 

 

さいごに伝えたいこと

カミングアウトについてお話ししてきました。いかがでしたか。

 

色々な場面で、カミングアウトについて話す機会をいただいてきました。

 

もしかしたら、以前の記事と最近の記事で私の言っていることが違っているかもしれません。

 

言っていることが違うとすれば、それは私にとっての「カミングアウトの意味」が、前と比べて少しずつ変わってきたのかもしれません。

 

色々な人との出会いやコミュニケーションを通して、私の考え方も変わってきている部分もあります。

 

これからもまた、変わっていくかもしれません。

 

カミングアウトをしたという事実は変わりませんが、それをどう捉えるかという意味は変わっていくかもしれません。

 

「カミングアウトをする」と決めた方も、「カミングアウトをしない」と決めた方も、その大切な覚悟と決断が最大限に尊重されることを願います。

 

また、カミングアウトについてまだ気持ちが決まらず、迷っている方もいるかもしれません。

 

その方の近くに話を聞いてくれる方、そしてこのリミーのサイトがあると思います。

 

「ちょっと話を聞いて欲しいんだけど」という一言が、何かのきっかけになるかもしれません。

 

そのようなお手伝いが、これからもリミーと共にできるように頑張ります。

 

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鈴木茂義

上智大学文学部非常勤講師。公立小学校非常勤講師。東京都世田谷区男女共同参画センターらぷらす相談員。専門は特別支援教育、教育相談、教育カウンセリングなど。14年間の正規小学校教諭として勤務を経て現職。教育研究会や教育センターでの講師経験も多い。お仕事のご依頼・お問合せはこちら

  • 本コンテンツは、特定の治療法や投稿者の見解を推奨したり、完全性、正確性、有効性、合目的性等について保証するものではなく、その内容から発生するあらゆる問題についても責任を負うものではありません。
  • 本記事は2018年6月11日に公開されました。現在の状況とは異なる可能性があることをご了承ください。